福岡県太宰府市「浦ノ城跡」!

2011/11/30(水)曇
太宰府市の連歌屋地区に浦ノ城跡が公園として残っていました。

足利尊氏が九州に逃れて上陸した直後、菊池武敏は少弐氏の「有智山城(うちやまじょう)」を攻め落します。

その数日後の「多々良浜の戦い」で足利尊氏と少弐頼尚の軍が勝利して

菊池武敏軍が肥後へ撤退すると、少弐頼尚は 「浦ノ城」に隣接する原八坊の一坊に尊氏を迎えます。

この時点で尊氏を「浦ノ城」に迎えなかったのは、菊池軍の攻撃で「浦ノ城」も「有智山城」と共に

焼失していたからだと思われています。

【浦ノ城跡】について

筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。城の構えの詳細はわからないが、

昭和44年 開発に伴う発掘調査で、御笠川とコの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して

造られていたことが判明した。

少弐氏の六代頼尚は足利尊氏を助けて、浦ノ城北側の原山の一坊に尊氏を迎えている。
                       
  太宰府市
         
   「浦ノ城跡」の案内板より



太宰府市「浦ノ城跡」の看板

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浦ノ城跡の石碑

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浦ノ城跡の石碑

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浦ノ城公園のようす

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浦ノ城公園のようす

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太宰府市「浦ノ城跡」の地図




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この記事へのコメント

2011年11月30日 14:00
ここも行ったことありますが、やはりこういういわれは知りませんでした。

カメ吉さんのブログは温故知新的な内容ばかりでいつも為になります。ありがとうございます。
カメ吉
2011年11月30日 21:52
ちしゃねんこさん
本当に行動範囲が広かったんですね・・
驚きデス!! (@.@);
最近古いものが気になっているこの頃です。
先日、鎌倉時代前の春日市の武士の暮しの講義を受けに行きましたので、そのうちに紹介しようと思っています。
2011年12月03日 19:38
連歌屋という地名が太宰府らしいと感じました。
小さな史跡も調べると楽しいですね。

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